うずまさ共生の郷ブログ
2022年03月
2022.03.26
「聴く・語る~戦争のこと10」
ブログ9本にわたり、
「聴く・語る~戦争のこと」
をお届けしました。
皆さまが生きてこられた時代と
経験されたこと、ご家族のこと、
そしてそのお気持ちは、実際は
もっと厳しいものであったと
思いますが、お話しぶりは
「あなたに伝えますよ」といった、
どちらかと言えば淡々と
お話をされたものです。
なお一層、そのお気持ちが
ひしひしと伝わってきました。
皆さまの若いころ、
終戦後頑張って働いて来られたこと、
そして今現在のことに想いを致し、
末永くお元気でお暮しいただくよう、
私たちは願ってやみません。
vоl。110
[うずまさ共生の郷ブログvol.166]
2022.03.17
「聴く・語る~戦争のこと9」
「戦争の真っ最中でした。
中3の時、学徒動員で
舞鶴の海軍工廠(しょう)に行って、
寄宿舎で生活をした。
25mの機関銃の弾を作った。
私の家では兄がフィリピンで戦死をした。
長男だったから、
母がかわいそうでしたなあ。
玉音放送もよく聞こえず、
(敗戦が)わからなかった。
私も兵隊になるもんやと思ってました。
当時は学校の先生も
(子どもたちは)兵隊になると思っていたから、
厳しかった。
その後の同窓会などには
その先生は来れませんでしたなあ。
戦争はあかんけど、誰かが行かなあかんかった。
精神力は鍛えられました。」
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[うずまさ共生の郷ブログvol.165]
2022.03.07
「聴く・語る~戦争のこと8」
勤労奉仕で田んぼの手伝いもあった。
この時は白い大きな(お米の)おにぎりをもらって、
うれしかった。なかなか食べられなかったから。
軍事教練は竹やりを軍人さんが教える
(竹やりでB29を迎え撃つという訓練)。
でもB29の機銃操作にあい、本当にこわかった。
女学校5年のうち、
学徒動員が2年間、
1年繰り上げがあって、実際は2年
しか行っていない。
英語も「敵国語」で教わっていないので、
「脳トレ」でも英語はパス。
「私たちは戦争をくぐり抜けてきたから強いねー」
と同級生と話をしながら、
毎年同窓会をおこない、
旅行をしてきた。
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[うずまさ共生の郷ブログvol.164]
2022.03.06
「聴く・語る~戦争のこと7」
「女学校のとき、
私の学年だけ学徒動員に駆り出された。
“大和なでしこ”のハチマキ締めて、
岡山の造船所に通った。
学徒動員だけお弁当が出た。
中身は麦と大豆、イカナゴと大根の葉を炊いたの。
鉄板の作業をするのに、
熱い鉄板が指の上に誤って落ちた。
みるみる腫れてきて、軍医さんが麻酔もかけず、爪をやっとこで剥いだ。
足もばい菌が入ったか腫れて、
看護婦さんたちに押さえつけられて麻酔なしでえぐられた。
痛い目にあったので、辛抱強いと思います。」
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[うずまさ共生の郷ブログvol.163]
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