うずまさ共生の郷ブログ
「聴く・語る」~ご利用者のお話から~
2022.07.27
「聴く・語る」~ご利用者様のお話から~
ご利用者:「私は生まれは福井。」
職員:「福井はお仏壇が大きいのを用意される
ところじゃなかったでしたっけ?」
ご利用者:「そうそう、三国に大きな仏壇屋さんがあって。
お父さんが亡くなった時、
大きな仏壇をしつらえた。3mくらい。」
職員:「うわー、大きいですね、
それくらい大きいと仏間一杯ですね。」
ご利用者:「毎日、扉を開けて拝んでいた。
お父さんのおかげで元気にくらしています。
若い人やここのみなさんの迷惑にならないように」
と手を合わせて拝まれました。
七夕の短冊の願い事に「仏さまに拝んでいます」と記名しました。
昔のお話をすることは「回想療法」と言って、
心に安心をもたらします。
今日の会話はまさしくそれで、次から次に話が広がって、
表情や言葉もしっかりされてきます。
「迷惑」だなんて思わずに、長生きしてくださいね。
vоl。124
[うずまさ共生の郷ブログvol.180]
2022.02.26
「聴く・語る~戦争のこと6」
「戦争中は金閣寺や平野神社に逃げた。
金閣寺の山に薪も取りに行った。
おばあさんとおイモとおにぎり持って、
一日集めに行った。
お母さんが買い出しに行くのに、
私が朝4時に路面電車に乗って、
京都駅まで切符を買いに行ってた(配給制か)。
お母さんが買い出し行くの大変やったから、
ちょっとでも手伝おう思て。
「疎開」も行ったけど、
食べるもんが無い。
ほんとに苦労した。
あれはもう絶対行きたくないわ。」
vоl。106
[うずまさ共生の郷ブログvol.162]
2022.02.18
「聴く・語る~戦争のこと5」
「若いころ、支那事変(日中戦争)から始まって、
ずっと戦争だった。」
職員「盧溝橋(ろこうきょう)事件」ですね。」
「そうそう。
(太平洋戦争では)伏見で入隊し、鳥羽に行った。
太平洋の守りを固めようとしていた
(当時は米国と戦っていたので)。
でも戦争には行かなかった。
戦争が終わって25年間、仕事をした。
若い時のことを思うと、
よー、身体がもったな、ありがたい。」
奥様の看病をずっとされていた方です。
「看病、そうやな、(夫婦は)
もちつもたれつですな」と仰せでした。
vоl。105
[うずまさ共生の郷ブログvol.161]
2022.02.15
「聴く・語る~戦争のこと4」
毎日頑張って歩いておられる方です。
いっしょにお散歩し、休憩時にお話しされました。
「私は20歳で召集され、福井の武生から満洲に渡った。
仲間が死ぬとき、彼らが何と言ったかわかりますか?」
職員「「おかあさーん」、でしょうか・・」
「そう!そのとおり!」と力を込めておっしゃられた。
「亡くなった兵士の小指だけ切って、持って帰って、
ご家族に渡すため、日本に帰ってきましたよ。」
身体に気をつけてお元気でお過ごしいただくよう、お話ししました。
vоl。104
[うずまさ共生の郷ブログvol.160]
2022.02.14
「聴く・語る~戦争のこと3」
職員「私も家でサツマイモを植えていますが、
年配の方が「ツルを分けてほしい。なつかしい」と言われて、
あげることがあります。
はじめは芋のツルをどうやって食べるのかと不思議でした。」
「サツマイモのつるで思い出した。
家の兄が山奥に芋のつるを植えた。
竹やぶを開いて、がんばって耕したんや。
それでも少しだけの畑やけど。
ある日、それを取りに山に登った。
急な道で大変なところで人が来るようなところではないんやけど。
なのに行ったら、つるは茂っているのに、
下の土には芋が一個もなかった。一個も。
兄とがっかりしたけど、つるだけでも持って帰ろうと思って、
リュックに詰め込んで背負って持って帰った。
そしたら汽車のなかで、買い出しの周りの人たちが
「芋のつる、どこで手にいれた」と聞いてきて。
買い出しはよく行った。
着物などを農家さんに持っていってお米などを買い出しした。
お母さんのお手伝いで、お母さんの手助けしようと思って。
そんな思い出があるわ。
vоl。103
[うずまさ共生の郷ブログvol.159]
2022.02.13
「聴く・語る~戦争のこと2」
(テレビで大阪の安治川(旧淀川)という町ロケを
やっていたのを一緒に見ており)
「私は大阪はあんまり知らんのよ、
ずっと京都に住んでいたから」
職員が大阪は賑やかいイメージがありますが、
古い街並みや歴史もありますねとお話しすると
「あ、そうや、一度戦争が終わるころ、
大阪に行ったことがある。この安治川というところ。
お父さんが鹿児島から船でサツマイモを
調達してくれたのを取りに行ったんや」
職「安治川は大きな川ですね、船が行き来してたんでしょうね。
薩摩(鹿児島)で取れる芋だから、サツマイモって言うんですね。」
「そうそう。大阪空襲のあとやった。家は全部焼けていて、
焼け野原やった。大きな建物だけ残ってた。でも鉄筋だけ。
ほんとにびっくりしたなあ。あのお芋は本当にうれしかった。
お父さんのおかげやった。」
[うずまさ共生の郷ブログvol.158]
2021.10.27
「聴く・語る」~ご利用者のお話から~(6)
小さな白い犬を飼っていて散歩が好きやった。
旅行も好きやった。
歌を聴くのは好きやけど、歌うのはへたくそ。
和裁・洋裁・お茶・お花もやってた。
うちは和菓子屋さんやった。
(じゃあいま季節は夏なので、水無月とか葛餅とか?)
あー、なつかしい。
私は嫌いな食べ物ない。
お母ちゃんがほめてくれた。
怒られたことないで。
(お母ちゃんが亡くなって)日が経ってしもた。
和菓子はおいしいですね。
好き嫌いがないというのも大事なことです。
お母ちゃんもきっと喜んだはりますよ。
no.86
[うずまさ共生の郷ブログvol.143]
2021.10.25
「聴く・語る」~ご利用者のお話から~(5)
後ろからしゃべられると聞こえへんから、
前からきてしゃべってね、口の動きを見てるから。
編み物が好き、肩はぜんぜんこらへんかった。
漬け物や梅酒をよく漬けてた。
鯖寿司をたくさん作って、みんなに配ったわ。
歌は音程がはずれるから心の中で歌ってます。
寝る時はベッドの中で声だして歌ってるよ。
新聞や広告を見るのが好きで、毎日見てますよ。
(遠慮せず歌ってくださいね♪ 鯖寿司、おいしかったでしょうね。)
no.84
[うずまさ共生の郷ブログvol.141]