うずまさ共生の郷ブログ
2022.03.17
「聴く・語る~戦争のこと9」
「戦争の真っ最中でした。
中3の時、学徒動員で
舞鶴の海軍工廠(しょう)に行って、
寄宿舎で生活をした。
25mの機関銃の弾を作った。
私の家では兄がフィリピンで戦死をした。
長男だったから、
母がかわいそうでしたなあ。
玉音放送もよく聞こえず、
(敗戦が)わからなかった。
私も兵隊になるもんやと思ってました。
当時は学校の先生も
(子どもたちは)兵隊になると思っていたから、
厳しかった。
その後の同窓会などには
その先生は来れませんでしたなあ。
戦争はあかんけど、誰かが行かなあかんかった。
精神力は鍛えられました。」
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[うずまさ共生の郷ブログvol.165]